仮設住宅の暮らしも一月ぐらい経った8月のある日、長洞元気村の村上誠二さんが別の仮設住宅に住む知り合いの老人に会ってこんな会話をしたそうだ。
誠二 「カセツの暮らしはなじょなもんだ?」
老人 「オラァ、豚小屋のブダみでだ」
誠二 「んだば、たんと食べて、そのうぢ高く(たがぐ)売ればいい」
こざっぱりした部屋を与えられ、物資の配給もあるが、やることがない。ただ、喰って寝るだけの暮らしだと嘆いているのだが、6ヶ月もたつのに復興への道筋が示されず、宙吊りにされた被災者の心理を言い当てている。
仮設住宅において、復興に立ち向かう暮らしが営めているか、という我が研究会の重大な関心に触れる事柄でもある。
だが今回は、“音楽の素養があるなら音符を付けたい”と思っうほど、このやり取りはもうひとつの興趣をそそるので、その話題にしたい。
それは、方言の魅力である。
ここは岩手県気仙地方なので、使われている言葉は気仙語などと言われれている。(井上ひさしさんの造語かもしれないが)
東北弁を、濁音の多い訛りのある言葉と単純に思っている人がいるが、東北の方言はひとつではない。それどころか極めて多種多様だ。
とは言え、地域的な連なりに沿って一種のグラデーションをつくりながら変化している。
東京から順に見てゆくと、茨城、福島と連続し、福島から山形と宮城に変化の流れが二手に分かれる。宮城で変化した傾向に岩手で大きな特徴が現れる。と、私が感じている特徴とは“抑揚”である。
ゆったり、もしくはのったりしたリズムを取りつつ音程が上下する独特の抑揚。
そして、会話のユーモラスな掛け合いと一体となってこの特徴が構成されている。ユーモアこそ、生きる充実の証だと言わんばかりに。
村上誠二さんは、実はこの方言(気仙語)を織り込みながら話す、トークの名手なのである。
3月11日の修羅の光景、集落の団結、勝ち取った元気村とその運営。
あるシンポジウムで聞いた村上さんのこの話は、ひとつの村のエピソードながら、あの歴史的事件の展開を凝縮していて一種の迫力がある。
組み立ての分かりやすさに加えて、随所に現れる気仙語の会話が話をヴィヴィッドにするので、聴衆はつい惹きこまれてしまう。
方言力は表現力だと思う次第である。
2011・10・08 a.y.
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