2011年9月26日月曜日

闇の中からの道筋は


南三陸町を出たのは午後6時ごろになってしまった。
漁港訪問の後、中瀬地区の仮設住宅も訪れたので予定よりも大幅に遅れた。急いで長洞の元気村に向かわねばならない。
国道45号を突っ走ったが、“東北”は広い。ようやく陸前高田市域に入った時はとっぷりと暮れていた。
応急工事で復旧した気仙大橋を越えると高田市街に入る。右手には水没した高田松原があるはずだが何も見えない。「提言6」に書いてあるように、ここは漆黒の闇の世界だ。
闇の中の国道を走るのは怖い。信号はない。街路灯もない。街がないから灯りが皆無なのだ。
ガードレールがぼうっと見えるのは少し役に立つ。必死に方向感覚を研ぎ澄まし、道路の存在を確認しつつ前進するしかない。時々壁のように感じるのは何かの残骸。
遠くにビルがあるのかと思わせるのは、コンクリート類、鉄や金属類、木質類に分けられた瓦礫の山々だ。
地盤が下がっているので、近くを海水が浸しているのが分かる。もし、満月が水面を照らしてでもいれば、フラフラと誘い込まれそう。
提言したように、この視界の中に仮設の商店街が出現すれば、オアシスのように感じるだろう。
ただし、10軒や15軒のスケールでは、魔性を漂わせる闇の世界に紛れてしまうのではないか。
難しい問題であることを実感する。

三陸沿岸の市街地にはもともと大きな商業ストックがあった訳ではない。巨大な爪痕を押し戻し、乗り越える先頭に立つにはやや非力に見える。
一方、被災農地の復旧には、震災前からの構造的な農業存立の課題が被い被さっている。
とすれば、三陸の復興は、多くのものを奪い去った海から取り戻すことから始めるのがふさわしいのではないか。なにしろ、夜が明ければあの日とはうって変わって、きらきらと明るい海原が広がるのだから。
20110915 a.y


陸前高田市(旧脇ノ沢漁港周辺)から広田湾を望む

長洞元気村・開村式 印象記

長洞元気村は、ついに開村式を迎える。

7月17日。前日までは一日中、断続的に霧が立ち込めていたが、一変して朝から晴れがましい程の青空となった。

仮設住宅の全住民により、設営、料理、元気市場、等等、役割分担のもとに入念かつ迅速に進められた各準備が整い、メイン道路周りにつくられた臨時広場は祝賀の時を待つばかりだ。

12時。大船渡から駆けつけたアマチュア芸能団、「寺町一座」の賑やかで楽しいチンドンパフォーマンスで式典の幕が開く。
次いで、手づくりの流しソーメン、豚汁、炊き込みご飯、フルーツポンチ、などおもてなしコーナーがオープン。

賞味し回って腹も落ち着くころ、流された後に、奇跡的に発見された長洞太鼓が並べられ、伝承に取り組む若者の復活演奏が催される。勇壮な響きにどこか優雅な振りが伴う。
快晴の海辺は焼け付くような日差しだ。加えて元気村の人々の想いも燃えているのか、強烈な暑さにくらくらと目も眩む。

こんなに明るい、笑顔に満ちた仮設住宅があるだろうか。
果てしのない瓦礫の荒野、まだ避難所状態から脱却できない多くの人々のことが頭をよぎる。ここは被災地なのか。
もちろん被災地だ。しかも、半島の根元を両側から津波に襲われ、孤立に耐え忍んだ集落だ。それを強い結束力と先々の問題への主体的な取り組みで乗り越えてきた。その節目の今日は、当然祝福に値する。

元気村会長の心のこもった感謝の辞で式典はひとまず閉じられる。
夜は、その場で宴が始まる。
老いも若きも交わり、過去のこと、あの日のこと、これからの肝心な事柄など、此処かしこで語られる。元気村を拠り所ににして復興を手繰り寄せる生活が今からスタートするのだ。
見上げれば満天の星空。

星座がデカイ。夏の大三角を構成する、琴座が鎮座し、白鳥座、鷲座が羽ばたいている。大きな物語の中に居るのだぞ、と。   


(この文は既にホームページ掲載したものですが、元気村の動向を軸に東北の復興を見て行こうという趣旨から、開村式をブログのスタート地点にします) 


5月、仮設用地でワークショップ

7月、仮設住宅完成入居

7月17日、開村式風景
                         

ごあいさつ

仮設市街地研究会のホームページhttp://www.kasetsu-shigaichi.org/の管理をしている山谷です。

このホームページでは、研究会が行っている東日本大震災被災地の復興支援、特に陸前高田市広田町長洞地区を軸にした活動をレポートしています。

復興のプロセスは、地域の問題に遭遇し解決しながら進むため、新しい事態が頻繁に出現する訳ではありません。
ただ、活動に関わっていると三陸の、ないし東北の様々な事象に触れることになります。
見たこと、考えたことを折々に記述して、ホームページのサイドリーダーになればと思ってこのブログを始めました。