2011年12月9日金曜日

浜は動き出す


10月1日早朝、長洞の前浜に出てみると、集落の人たちが大勢揃って作業をしていた。
今、広田半島の漁業は停止状態にある。広田港などの拠点港では、水揚げも加工も出来ない。多くの人たちは船も漁具も失っている。
だから、船が無事だったとしても抜け駆けの漁は自粛しようという事になっている。だいいち、港が壊れているのでまともな漁船を停泊させられないのだ。
と言っても、小船なら何とか動かせるので、修理したり中古を買ったり、段々浜に小船が増えてきた。漁業とは言えない、自家用の魚を獲ることは各々ぼちぼちやっているらしい。

だが、今日の作業は個人の魚獲りではない。共同作業である。
ワカメ養殖用の太いロープを、長さを揃え一定間隔で浮き球を装着する。
その準備が済んだら、皆で沖へ持っていって、別途種付けをしておいた細いロープを差し込んで仕掛けを完成する。と言う作業の一環をやっていた訳だ。
ついでに言うと、仕掛けとは太いロープの一方を水面に浮かせ、一方は海底に垂らして錘で固定する。水面に浮いたロープから種つきロープが藤棚のように何本も下がる。これを何列も並べる。
というものであると、話を聞いたのだが、正しく図解できるぐらいに全工程をこの目で見てみたい。

翌日、広田半島一周の漁港調査をした際、根岬(ねさき)漁港でワカメの種付けロープの手入れ(不良なものを間引いたり、整えたりする作業)の現場に遭遇した。
養殖漁業とは、種を植え付け、ロープやいかだ(カキやホタテの)を畑のように整然と仕掛け、季節が来れば収穫する。なにやら農業にも似ている。
そう言えば、3月11日は長洞の人たちが春ワカメの収穫に出る前日だったそうだ。
2011・11・23 a.y

ワカメのロープを揃える-長洞で
種付けロープの手入れ-根岬漁港で

2011年10月14日金曜日

黒崎神社の赤い虎


広田半島の南、リアス式海岸の岩や断崖を見下ろす位置に黒崎仙峡温泉という保養施設がある。
私たちが長洞に滞在すれば必ず行く、お楽しみスポットだ。
温泉の近くに、平安末期創建の黒崎神社がある。神社に接して公園があり、双方が一体となって清々しい緑のオープンスペースを構成している。
10月1日、その神社前に長さ20メートルを越える長大なハシゴが建てられていた。黒崎神社祭礼の奉納芸能最大の呼び物、「梯子虎舞」の舞台装置である。

虎舞とは、私たちの目には獅子舞と変わらないように見えるが、要するに魔物の形象。この虎をハシゴの上におびき上げ、ゆったりとしたテンポで舞いながら登る。おおどかなリズムの中に緊迫感の伴うユニークな芸能である。高度な技術を要するので、根岬集落にのみ伝承されている。
舞のストーリーはこうだ。
10月、即ち神無月、出雲に向かおうとするこの土地の神様の行く手を魔物が邪魔をする。そこで、ある賢い者(才坊)が一計を案じ、魔物を高い岩場の上に誘い出し、その隙に神様一行が通り抜ける、という伝説。
本祭りでは、各村の神輿が神様なので、参加した神輿分、虎舞が行われるはず。

衆目を集める魔物の化身、赤い虎は、2人1組になって演じられる。
才坊におびき寄せられる魔物、赤虎は、梯子の途中で右に左に威嚇するような身振りをしながら上へ、上へと登っていく。頂上に達すると舞手は衣装の中で体を組みなおし、一人は虎の面の構えを保ちつついきなりダイビングをする。(衣装の仲では、後ろ向きにのけぞって反動で戻る動きをしているのだろう。驚異的な腹筋背筋力)
虎の飛翔を思わせる大きなスウィングを繰り返した後、突き出た梯子のてっぺんに足を掛け、大見得を切る。
このクライマックスに観客は度肝を抜かれ、ハラハラしながら大喝采をする。という趣向になっている。

実は、私たちが見たのは練習風景。本祭りの際は、虎舞を含めた広田半島の主要集落が総力を挙げた郷土芸能の競演になるそうだ。今年は、大震災による特殊な事情で、根岬に伝わる虎舞の部分だけ敢行することになった。
翌日は、笛、大太鼓、女性軍による小太鼓連が揃った総連集があるというので、当然、また見に来ることにした。
4年後の本祭り、何としても見たいものだ。想像しただけで陶然としてくる。
2011・10・12 a.y.

右に吼える

左に吼える

登ってきた

ジャンプ


2011年10月9日日曜日

方言力


仮設住宅の暮らしも一月ぐらい経った8月のある日、長洞元気村の村上誠二さんが別の仮設住宅に住む知り合いの老人に会ってこんな会話をしたそうだ。

誠二 「カセツの暮らしはなじょなもんだ?」
老人 「オラァ、豚小屋のブダみでだ」
誠二 「んだば、たんと食べて、そのうぢ高く(たがぐ)売ればいい」

こざっぱりした部屋を与えられ、物資の配給もあるが、やることがない。ただ、喰って寝るだけの暮らしだと嘆いているのだが、6ヶ月もたつのに復興への道筋が示されず、宙吊りにされた被災者の心理を言い当てている。
仮設住宅において、復興に立ち向かう暮らしが営めているか、という我が研究会の重大な関心に触れる事柄でもある。
だが今回は、“音楽の素養があるなら音符を付けたい”と思っうほど、このやり取りはもうひとつの興趣をそそるので、その話題にしたい。
それは、方言の魅力である。

ここは岩手県気仙地方なので、使われている言葉は気仙語などと言われれている。(井上ひさしさんの造語かもしれないが)
東北弁を、濁音の多い訛りのある言葉と単純に思っている人がいるが、東北の方言はひとつではない。それどころか極めて多種多様だ。
とは言え、地域的な連なりに沿って一種のグラデーションをつくりながら変化している。
東京から順に見てゆくと、茨城、福島と連続し、福島から山形と宮城に変化の流れが二手に分かれる。宮城で変化した傾向に岩手で大きな特徴が現れる。と、私が感じている特徴とは“抑揚”である。
ゆったり、もしくはのったりしたリズムを取りつつ音程が上下する独特の抑揚。
そして、会話のユーモラスな掛け合いと一体となってこの特徴が構成されている。ユーモアこそ、生きる充実の証だと言わんばかりに。

村上誠二さんは、実はこの方言(気仙語)を織り込みながら話す、トークの名手なのである。
3月11日の修羅の光景、集落の団結、勝ち取った元気村とその運営。
あるシンポジウムで聞いた村上さんのこの話は、ひとつの村のエピソードながら、あの歴史的事件の展開を凝縮していて一種の迫力がある。
組み立ての分かりやすさに加えて、随所に現れる気仙語の会話が話をヴィヴィッドにするので、聴衆はつい惹きこまれてしまう。
方言力は表現力だと思う次第である。
2011・10・08 a.y.

2011年9月26日月曜日

闇の中からの道筋は


南三陸町を出たのは午後6時ごろになってしまった。
漁港訪問の後、中瀬地区の仮設住宅も訪れたので予定よりも大幅に遅れた。急いで長洞の元気村に向かわねばならない。
国道45号を突っ走ったが、“東北”は広い。ようやく陸前高田市域に入った時はとっぷりと暮れていた。
応急工事で復旧した気仙大橋を越えると高田市街に入る。右手には水没した高田松原があるはずだが何も見えない。「提言6」に書いてあるように、ここは漆黒の闇の世界だ。
闇の中の国道を走るのは怖い。信号はない。街路灯もない。街がないから灯りが皆無なのだ。
ガードレールがぼうっと見えるのは少し役に立つ。必死に方向感覚を研ぎ澄まし、道路の存在を確認しつつ前進するしかない。時々壁のように感じるのは何かの残骸。
遠くにビルがあるのかと思わせるのは、コンクリート類、鉄や金属類、木質類に分けられた瓦礫の山々だ。
地盤が下がっているので、近くを海水が浸しているのが分かる。もし、満月が水面を照らしてでもいれば、フラフラと誘い込まれそう。
提言したように、この視界の中に仮設の商店街が出現すれば、オアシスのように感じるだろう。
ただし、10軒や15軒のスケールでは、魔性を漂わせる闇の世界に紛れてしまうのではないか。
難しい問題であることを実感する。

三陸沿岸の市街地にはもともと大きな商業ストックがあった訳ではない。巨大な爪痕を押し戻し、乗り越える先頭に立つにはやや非力に見える。
一方、被災農地の復旧には、震災前からの構造的な農業存立の課題が被い被さっている。
とすれば、三陸の復興は、多くのものを奪い去った海から取り戻すことから始めるのがふさわしいのではないか。なにしろ、夜が明ければあの日とはうって変わって、きらきらと明るい海原が広がるのだから。
20110915 a.y


陸前高田市(旧脇ノ沢漁港周辺)から広田湾を望む

長洞元気村・開村式 印象記

長洞元気村は、ついに開村式を迎える。

7月17日。前日までは一日中、断続的に霧が立ち込めていたが、一変して朝から晴れがましい程の青空となった。

仮設住宅の全住民により、設営、料理、元気市場、等等、役割分担のもとに入念かつ迅速に進められた各準備が整い、メイン道路周りにつくられた臨時広場は祝賀の時を待つばかりだ。

12時。大船渡から駆けつけたアマチュア芸能団、「寺町一座」の賑やかで楽しいチンドンパフォーマンスで式典の幕が開く。
次いで、手づくりの流しソーメン、豚汁、炊き込みご飯、フルーツポンチ、などおもてなしコーナーがオープン。

賞味し回って腹も落ち着くころ、流された後に、奇跡的に発見された長洞太鼓が並べられ、伝承に取り組む若者の復活演奏が催される。勇壮な響きにどこか優雅な振りが伴う。
快晴の海辺は焼け付くような日差しだ。加えて元気村の人々の想いも燃えているのか、強烈な暑さにくらくらと目も眩む。

こんなに明るい、笑顔に満ちた仮設住宅があるだろうか。
果てしのない瓦礫の荒野、まだ避難所状態から脱却できない多くの人々のことが頭をよぎる。ここは被災地なのか。
もちろん被災地だ。しかも、半島の根元を両側から津波に襲われ、孤立に耐え忍んだ集落だ。それを強い結束力と先々の問題への主体的な取り組みで乗り越えてきた。その節目の今日は、当然祝福に値する。

元気村会長の心のこもった感謝の辞で式典はひとまず閉じられる。
夜は、その場で宴が始まる。
老いも若きも交わり、過去のこと、あの日のこと、これからの肝心な事柄など、此処かしこで語られる。元気村を拠り所ににして復興を手繰り寄せる生活が今からスタートするのだ。
見上げれば満天の星空。

星座がデカイ。夏の大三角を構成する、琴座が鎮座し、白鳥座、鷲座が羽ばたいている。大きな物語の中に居るのだぞ、と。   


(この文は既にホームページ掲載したものですが、元気村の動向を軸に東北の復興を見て行こうという趣旨から、開村式をブログのスタート地点にします) 


5月、仮設用地でワークショップ

7月、仮設住宅完成入居

7月17日、開村式風景
                         

ごあいさつ

仮設市街地研究会のホームページhttp://www.kasetsu-shigaichi.org/の管理をしている山谷です。

このホームページでは、研究会が行っている東日本大震災被災地の復興支援、特に陸前高田市広田町長洞地区を軸にした活動をレポートしています。

復興のプロセスは、地域の問題に遭遇し解決しながら進むため、新しい事態が頻繁に出現する訳ではありません。
ただ、活動に関わっていると三陸の、ないし東北の様々な事象に触れることになります。
見たこと、考えたことを折々に記述して、ホームページのサイドリーダーになればと思ってこのブログを始めました。